国とは、怖いものである

「国家権力の恐ろしさがわかりました。あれは半端ではないですね・・」
検察にまで行くことになったある方がこう私に呟きました。
私も、国家権力がどこまで恐ろしいものか本当にはわかっていないですが、一般の人よりは甘く考えることはない立場にあります。
マスコミなどが首相や政権党を批判している日常の中にいれば、誰もが勘違いをしてしまうと思いますが、国家権力は私たちが考える以上に恐ろしいものです。
私は、徴税の現場で、優しそうな多くの公務員に会ってきましたが、同時に、少なからず、「この人、どう考えてもヤクザと変わらない・・」と思える人にも会ってきています。
そして、検察段階までいくような事件には幸い遭遇したことがないのでわかりませんが、その段階を経験したことがある人ならば、必ず、冒頭の言葉に類することを呟きます。
ドラッカーは言っています。
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“節税”という言葉は、納税者が保有し続けることを特別に許可されていないものはすべて政府に属するということを暗に意味する。
そして、納税者が手元に残せるのは、政府が、その知恵と雅量によって、個人が持つことを許可する範囲内においてである。
もちろん、これらのことが明示的に行われているのは、共産主義国家だけである。
しかし、アメリカにおいてさえ、納税者が保有し続けることを政府が明示したものを除き、すべての所得は政府に属するということは、とくにケネディの時代において、ワシントンとくに政府官僚の間では、当然の常識だった。
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以前にもどこかで引用したことがあるように記憶していますが、ドラッカーが『ポスト資本主義社会』で書いたこの言葉を、どれくらいの読者がちゃんと捉えたかは疑問です。
『ポスト資本主義社会』の本筋からは少し外れたこの一文は、ほとんどの読者に無視されたことでしょう。
しかし、資本主義社会に生きる私たちにとって重要な一文です。
私は、「税金は、私たちが使用する弱小民族語である“日本語”の使用料と思って払え!」とよく言いますが、そう思わなきゃ払えないようなナンセンスが所々にあるのも事実です。
でも、ドラッカーの言うように、私たちが自分のものと思っているものは、「個人が持つことを許可する範囲内」のものと考えたら、そもそも理不尽なんて存在していないわけで、彼らの政策のやり方を見ればそれは明らかです。
・・・とこんなことをビジネスを始めたときから知っていた私はずいぶん得をしてきたなーと思っています。
ここがビジネスの要の一つだとわかっている人は今でも少ないですから、心からそう思います。
国家の意思は意志として、私たちは積極的に節税をすべきです。
グレーゾーンに関しては、私たちの意志と国の意志は徹底的に戦うべきです。
しかし、黒をごまかすことはやらない。
それをやると、国は待っていましたとばかりに私たちの懐をこじ開けます。
これを知らずに、どれだけ多くの人が余計なお金を国に持って行かれていることか・・。
くれぐれもマスコミの垂れ流す国家像を日本国とは思わないことです。