留保と必然

『中小企業のパーフェクト会計実践セミナー』(平成23年11月28.29日開催)を
3日後に控え、資料の作成が終わり、ひと息ついたところで、この原稿を
書いています。
私は、前座話で1時間ほど『望遠鏡とレントゲン写真』という話をさせて
いただきます。当日は、私の話が本にできる可能性もあるので、出版社の
編集者なども参加します。
『望遠鏡とレントゲン写真』というタイトルを見ると、一体何の話をするのか、
まったくわからない感じですが、強烈なドラッカー・ファンならば、“レントゲン写真”
という表現に反応されるかもしれません。
その前座話で、私がお話させていただくことの一つは、司馬遼太郎さんが、
“明治時代の気分”を書いた次の言葉と関連があります。
「社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格をとるために
必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
そういう資格の取得者は常時少数であるにしても、他の大多数は自分もしくは
自分の子がその気にさえなればいつでもなりうるという点で、権利を保留して
いる豊かさがあった・・・」
この言葉は、私が朝日新書で書いた『サラリーマンのためのお金サバイバル術』の
後書きでも引用しました。
そして、今も多くの人が、権利を保留している・・と書きました。
しかし、「私たちは、“これから起こる必然を留保されている存在”でしかありません」
(同書より)。
そのことを、“会計”という道具と絡めてお話するつもりです。
本来、会計は、単なる測定器でした。
しかし、商売の仕組みが複雑になるにつれて、会計の思想性を加える一部の
人たちが現れました。
これは、史実として証明は不可能ですが、実務の世界を生きてきた私の確信です。
明らかに、会計には、思想性がある。しかし、会計に思想性を見いだした人たちは
一部でしかない・・というのが、私が発見した確信です。
残念ながら、商売の仕組みが複雑になった時、多くの人々は、会計を思想の
具現には利用しませんでした。
では、何に利用をしたか?
もう言う必要ないですね。“留保”に利用したのです。
例えば、こうした話を聞くことがあります。
息子に見せられないから、赤字決算を、なんとか黒字にできないか・・と要求する
経営者。
会計の利益は、抽象概念でしかありませんから、考え方次第で数字は
変えられます。
粉飾は絶対にやってはいけませんが、会計基準を変えることで、ある程度の
変更は可能です。
こうした経営者は、会計基準の変更を要求しているということになりますが、
その理由が「息子に見せられないから・・」なのです。
これは明らかに、現実を“留保”する行為でしかありません。
しかし、日本の中小企業周辺では、よく聞く話です。
会計が、「これから起こる必然を留保」しているというわけです。
2012年がはじまります。
先進国諸国も、多くのことを“留保”してきました。
そして、その精算を迫られています。
全体は個、個は全体・・・・・・・・。
今の先進国諸国の姿と調子の悪い中小企業の姿は瓜二つです。
どちらも、目の前の現実を“留保”し、現在に至りました。
私は、中小企業で、会計が“留保”に使われたことを悲しく思います。
本当は、そういう道具ではなかったのです。
そして、国の財政も同様です。
使われるべきではない使われ方をしてきたのだと思います。
そして、“留保”は精算を迫られています。
それはすでにはじまっていますが、2012年はさらに、精算は進みます。
それが“留保”の必然です。
そうした“留保”企業の影響を受けないように、与信管理は厳密に進めておきたいところです。